bombpom’s blog

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イクメン宣言!仕事と家事育児の両立を目指す!

【おすすめ書籍#3】自分でできる子に育つほめ方 叱り方 Part①

モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くした オックスフォード児童発達学博士が語る 自分でできる子に育つ ほめ方 叱り方

どうも!育児奮闘中のBombです!

今回はおすすめ書籍シリーズの第3段です!(Part②も記載します)

 息子や娘に対してほめたり・叱ったりするとき、明確な基準ありますか? 

私は実はこの本を読むまで、ほめたり・叱ったりする基準について明確な基準を設けてなかったことに気づかされました。また、ほめたり・叱ったりすることが子どもにどのような影響を及ぼすのか真剣に考えたことがなかった。というのが正直なところでした。
子どもの成長に大きく影響を与える役割を担うのは、教育現場だと思ってます。大半の時間、保育園や今後通うであろう小学校、中学校、高校、大学と学生時代に費やすため、そこで出会う先生から知識を学び、そこで知り合う友人たちとのコミュニケーションで人格形成されていくものだと思っています。というのは言い訳がましいですが、家庭での親の役割は大切だとは分かりつつも、他力本願的な思想があったのかもしれません。

ただ、その考えを改める必要があると本書から学びました。

モンテッソーリ教育、レッジョ・エミリア教育について(概要)  

本書にある「モンテッソーリ教育」や「レッジョ・エミリア教育」の思想では、
「自分でできる子に育つ」ため、親がほめたり・叱ったりする、その内容が非常に重要であると記載されています。

自分でできる子」とは、自主性がある子です。例えば、困難にぶち当たったときでも、正解まで色んな方法をチャレンジし、簡単に諦めたりしないような子どもです。
そのためには、育ての親である私達がいかに我が子に良い影響を与えれるかが大切になりますよね。

 両教育には共通して、基本概念があります。

子ども一人ひとりを生まれながらに能力を持ち合わせたパワフルな学習者であるだけでなく、権利をもった一市民としてみなす

両教育の基本概念を前提としたとき、子どもの「自分でやってみたい」という自主性を伸ばすためには、親は脇役にまわり、その環境を作ることが必要です。


私はこの基本概念を見たときには、GAPを感じました。そもそも、大人が子どもに抱くイメージ(見方)は「何も知らない」や「何も出来ない」と思っていたからです。
というのも、私の子どもはまだ幼く、当然「何が駄目」で「何が正しい」の基準について知るはずがありません。この「何も知らない・何もできない」子どもに対して、「何が正しく」・「何が駄目」か、親である私(大人)の基準で子育てしているつもりでした。

 

大人都合のほめる・叱る基準を無意識に設定している!?

本書でも触れられていましたが、自分の経験上正しいことや親のがして欲しいことをしてくれたから「ほめる」、一方でこれは間違っているから「叱る」という基準を、無意識のうちに設定してしまっているということでした。
私の例でいうと、子どもを保育園に送るときのことを考がえてみました。
仕事に間に合わせるために、決まった時間の電車に乗る必要があり、その時間に間に合うように支度をしています。その時、息子の登園準備や着替えがたまたまうまくいかず遅くなってしまい、「早くして!」や「早くしないと駄目!」とか、逆に準備がスムーズにできたときは「早くできたから偉いね!」など、私の都合だけで叱ったり・ほめたりしていました。このように、大人の都合(自分の仕事に間に合わせたいから早く着替えたり、準備ができた)を無意識にほめる・叱るの基準に設定していました。

 

では、どのような接し方を心がける必要があるか? 

大人の都合や基準にならないようにはどうするべきか。
本書では、「条件付きの接し方」ではなく「無条件の接し方」が必要であると記載されています。

× 条件付きの接し方
→子どもの行動の善し悪しによって、アメとムチを使い愛情の注ぎ加減を調整し、行動をコントロールしようとする。

○ 無条件の接し方
→行動の善し悪しに関わらず、愛情を注ぎ、子どもの気持ちに寄り添う。

条件付きの接し方では、親、つまり大人が期待する行動をとった場合に愛情を注ぎ、期待にそぐわない行動をした時には愛情を注がず、その結果、子どもからすると大人の勝手な都合(期待)により、愛情を引っ込めてしまうという指摘がありました。

本書では、こんな例がありました。

・娘に毎晩寝る前に絵本を読む約束をしていました。しかし、パジャマになかなか着替えてくれなく、また幼い子どもにミルクもあげる必要がありイライラしてしまいます。結果、娘は親が期待する行動を取ってくれなかったため、絵本を読まないという罰を与えます。この時、娘からしてみると、毎晩絵本を読むという愛情を引っ込められたように映ります。このようなことを繰り返すと、娘からすれば、親が思う通りに行動しないと愛してもらえない。と思うようになります。

逆に、無条件の接し方ですと、着替えが遅くなったとしても、絵本を読んであげます。ただ、絵本を読む前後に何故着替えがいつも通りにできなかったのか、娘の立場にたち、次からどうしたら上手く着替えができるかを一緒に考えます。この無条件の接し方であれば、愛情をエサにすることなく、例え親の期待にそぐわない行動をしても愛しているということを示します。

「無条件の接し方」を実現するには、我が子を「一人の人間」として尊重する必要がある!

先程の例のように、「無条件の接し方」と「条件付きの接し方」には決定的な違いがあります。

「無条件の接し方」では、考え方や行動の理由をまずは考え、そのうえで一緒になって解決策を探します。

一方で、「条件付きの接し方」は、ただ行動だけをみて判断します。叱ることも愛情だというのを、聞いたことがありますし、私もそう思っていました。
ただ、それはあくまで大人の都合で、子どもから見れば、大人が良いと思う行動をしたときのみ愛情を受けて、逆に大人が悪いと思う行動をしてしまうと罰せられる。と思ってしまいます。

このように、子どもは何もできない・何も知らないという否定的な見方を持つのではなく、子どもを一人の人間として尊重し、その行動の理由を一緒に考え、結果に対して単に否定するのではなく今後はどのように解決したらよいか、親としてアドバイスしてあげれるような存在になる必要があります。

次に、ほめ方や叱り方で親が注意するべき内容があるのですが、長くなりそうなので次回のブログでPart②として引き続きご紹介させていただきます。

 

本書を読んで感じたこと

本書とはずれますが、最後に子どもの教育について思うことを勝手ながら書かせてもらいます。(教育に関してこの本をきっかけに思いついたことを書きます)

私事ですが、現在、第2子のために育休を取得しています。
育児・家事に日々追われ、長男と向き合う時間がこれまでより少なくなっています。そんな中、息子自ら娘の世話を一緒に手伝ってくれており、何か妹のために役に立ちたい。ただ単に可愛いから手伝いたい。本心は正直分かりませんが、お兄ちゃんとして自ら娘に対して愛情いっぱいの行動をしてくれる、我が子の成長ぶりが親心としてはたまらなく嬉しく、また愛らしく感じます。
一方で、どうしても娘の育児に時間を取られてしまい、息子に向き合う時間が以前より少なくなり、息子への愛情のかけ方や日々の接し方をより濃いものにしないといけないなと感じております。

 子どもたちが大人になったとき(私の子どもであれば約20年後)の未来はどうなっているか、ふと考えるときがあります。考えますが、正直想像がつかないです。今の世の中でもそうだと思いますが、学校の成績が良かった人=社会人として成功。という訳ではないですよね。私は頭は賢いほうではないです。ただ、学生時代一生懸命取り組んだ部活動で、そこそこのコミュニケーション能力や諦めない気持ち等を学べだと思ってます。その時の経験があったおかげで、今は一応名のある企業に就職し、営業として働くことができています。頭は良くないですが、わからないことはググったりすれば大丈夫ですもんね。
将来どんな世の中になってようが、そのときに通用するような子って、やっぱり自分で考えたり、解決までの試行錯誤を諦めずできるような子だと、勝手ながら思っちゃったりしてます。簡単に表現すると「どんな状況でも挫けずに取り組める」ような子になってほしいなと思ってます。

こういう考えに共感される方がいて、今回ご紹介した育児に関する本で、子どもへの教育について考えて頂くきっかけになれば幸いです。

 

それでは、アデュー!!!